TSUNEYA’s diary

日々淡々と思った事を時々垂れ流します。

仏法と世法 ⑷

今では、あれだけ悩んでた経済苦も乗り越えて、生きながらえてます😄

 

過去にも何度も危ない目にあってきましたが、世法9の仏法1くらいの比率で乗り越えてきてたなと今となっては思います。乗り越えてきた事を功徳だ功徳だと喜んでは体験発表をしてきましたが、ほんの少しの功徳の出方で喜んでたなと思います😅

 

世法・王法よりも仏法の方が優れているのは明らかです。

そこをなかなか信じられないから元品の無明っていうのも納得しますし、それを断ち切るのは「信」の利剣だというのも納得です👀臆病ではいくら良く切れる剣でも用を為さないっていうのもその通りだなと思います。

 

少しだけ妙法を信じても功徳が出るのですから、自分の全てを妙法に帰命した時の現証の出方は、御書や先生の仰ってある通りです。

 

ただ自分が陥ってしまったのは、少しの功徳を当時はマックスの功徳と勘違いして歩みを止めた(今思えば💦)からだと思います。だから、そうならない為にも求道心を持って、師匠を求めていかないと忘れてしまいますね👀💦

その為の学会組織であり続けたいし、そんな組織を構築していきたい😃

仏法と世法 ⑶

それまでの苦しみはずっと変わらずあったのですが、不思議な感覚でした。

誤解を恐れず言葉にしますと、核になる自身(モノ?)は悠々としてるのに、表面にある自身は苦しんでいる姿を現していて、その表面の自身に一喜一憂しているみたいな😃

分かりづらいですね😅

 

でも、確かに自分の中に核たるモノがある事だけは分かった気がして、その生命のまま唱題をあげて全部委ねてました。

 

そのまま数日が経った頃、新たに仕事の受注が入りました。稼ぎの悪い仕事でしたが、わらをも掴む思いで挑んだら、自分に合った仕事内容になり、今では私をなくてはならない存在とまでお客様から仰って頂くようになり、10年かかる予定だった返済が3年で完済するまで稼がせて頂きました!

 

死ぬことしか考えてなかったのに、妙法に委ねてみれば全てが好転していきました!

 

ある意味、委ねるだけの「信」を出すのは勇気がいりました💦世法を取らず、一切を仏法に任せた感じでしたので👀💦

御書にも、

「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」(P1506)

とありますが、自身の意が二重に感じたのは、この事だったのかなと実感します。

 

仏法と世法 ⑵

ご飯なんてものは家に殆どありませんでした😵
高齢の親に食事は譲り、自分は週一回何かを食べる(何を食べてたのか記憶にございません👀)、という生活に切り替わった時、普段病気にかかった事のない私が目眩と耳鳴りが酷くなり、平衡感覚がおかしくなりよく倒れて失神してました😱
一度、夜中に家の階段で倒れて転げ落ちましたが、親も一切気付かないまま朝を迎えた事は今では笑い話です😃
病院に行く事も出来なかったので、私の病気が何だったのかは分かりませんが、どうせ倒れるなら、倒れるくらい題目をあげぬいてみようと、仕事もあるので週3日と決めて、10時間唱題をしてました。

それから一週間目、二週間目と経つんですが、不思議なもので、何も変わらないんですよw体重だけは着実に減りました😱
信心ってウソだったんじゃないかっていうくらい何も変化無し😅
でも、腹が決まってたんでしょうね。それはそれで楽しかったですw

 

自分はいつ死んでもおかしくないのになんで生きてるんだろうとか、この苦しみってなんだろうとか、だんだん哲学的に思ってたんですが、1ヶ月も経たない内にそんな事も思わなくなってました👀

仏法と世法 ⑴

こんにちは😃

年々、豪雨と呼ばれる降水がありますね💦雨は降ってもらわないと困りますが、小出しで降って頂きたいものです。

 

ところで、学会員である私ですが、過去に大変な経済苦で悩んだ経験がございます。

収支のバランスが超絶悪くて、どんなに仕事をしても返済が間に合わなかった時期があります。

あっという間に高級車がポンと買えるだけの負債を抱え(本当にあっという間w)、生きた心地が全くありませんでした😱

 

何人かの先輩に指導を受けましたが、返ってくる言葉は「寝ずに仕事をするくらいの決意で」とか「生活が出来るだけのお金はどんな惨めな目にあっても掴んでこようよ」などなど、真剣に私の事を思っての言葉でした。

 

ありがたいなと思いつつも、昔から私は捻くれてるせいか、違和感しかありませんでした。

 

なんで一生懸命に仕事をしてるのに負債を抱えるのかという根本的な答えを私は知りたかったのです。

 

全ての先輩方からの返事は世法の事ばかりでした。私が逆の立場なら同じ事を言ってたのかもしれません。

ある意味、これだけ世法での答えしか返ってこない方が、捻くれ者の私には良かったのかもしれません👀

 

さぁ、腹は決まった!

納得いくまでご本尊様と向き合う事にしました。

岡城址

どもです😬

 

常に変化してる人生の中で、正しい情報を素早く読み取り、即決断する事の大切さを先生から教えて頂いた事があります。

 

組織の中心者に決断力が無く、鈍い行動を起こすなら、それは保身に侵された姿であって、民衆を護ろうという精神も気概も全く感じられません。

 

そこから、会員は組織不信になり、信心不信に繋がることだと思います。

中心者にはふざけはあって欲しくないし、自戒の意を込めて書きました👀

 

先日、大分の岡城址に足を運びました。

この地は昭和56年、先生が訪れた場所です。本丸は残ってませんが大きな石垣が鮮やかに残されてます。

かなり、段差のキツい階段を登らなければ本丸跡までたどり着かないのですが、先生は何故この地に来たのかなと別の角度で思いを馳せてみました。

 

私なりの考えですが、本丸という立派なモノよりも、いつまでも残るのは石垣です。多彩な石を積み上げて出来た石垣はどの石1つとっても大事な役割をずっとそこで果たし続けています。

 

学会も同じかなって思います。

会員さん1人1人、全て違ってそれでいい。同じ考えで無くてもいい。ただ、師匠と同じ広宣流布の心でその地で踏ん張り使命を果たして行く。そんな人が集まって団結していくならばいつまでも残る石垣のように、皆から仰がれるカタチになるんじゃないかなって思います。

 

最後に勝つのはごく一部のエリートでは無く、無名の民衆ですね。

 

余談ですが、本丸が残ってる大阪城は個人的に好きですね(^^)

難攻不落。これもまた1つの理想ですね✨

 

活動について

学会活動していると、多種多様なメンバーと出会います。

学会でなくても出会いはありますが、御本尊様の繋がりっていう括りで見ると不思議な組織だなって思うし、その中では様々な悩みを抱えながら、互いに信心で乗り越えていく組織って考えるとなんか凄い組織だなと思います。

 

私はもともと信心には批判的でしたが、自分で何もしていない事に、批判ばかりするのは卑怯だなって思って、高校生の頃に初めて自分から題目をあげてみました。

 

そもそも宗教ってなんだろうって考えだし、御書を学び、書かれた通り実践したらそのままの結果が出たことに当時は驚いて、そのまま学会活動していく事になりました。

 

家庭訪問していく中で、一度だけ会えたメンバー、会えずに先生の激励をメモに託し、そっと置き手紙をしてきたメンバー。種々ありましたが、それから数年、数十年した後に、不思議と当時なかなか会えなかったメンバーとばったり出会えたり、そのメンバーの縁者の方から助けられたりと、フラグ回収みたいに点と点が線になる時があります。

 

一回一回の家庭訪問で、その「時」は何もない状況かもしれませんが、真剣に相手の幸福を祈り行動する中で、いつかまた出会える時が必ずくるんだなって思います。

 

過去と現在が結びついた時に、家庭訪問し続けてきて良かったって歓喜する自分が一番幸せなのかもしれません(^^)

 

起きている事に1つも無駄なんてないっていうのは本当ですね。

 

今日も家庭訪問で未来に向けてフラグ立てに行ってきます( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

はじめましてー!

ぞくぞくと梅雨明けしてますねー!

 

豪雨災害かと思いきや猛暑が続いております。被災された方々に対して、心からお見舞い申し上げます。

 

これまでの日常が打って変わってしまう時ってありますよね。

自分の思いとは裏腹に( ̄▽ ̄)

 

これ一体何なの??って思いたくもなりますが、最近私はどうしようもない事は悩まないようにしました(`_´)ゞ

 

それよりも、今出来る事に全力傾けて生きる方が案外楽しく暮らせるんだなと痛感してます。対策はそれなりに練っているんですけどねw

 

師匠・池田先生は、「小説 人間革命」の主題に、

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。」

と明確に弟子の生き方を教えて頂きました。

 

自分が輝けばまわりも照らしてイケる!どんな状況にあっても妙法を信じる事が出来るのが功徳なんだなって毎日気付かされます(^^)

今日も家庭訪問行ってきます(´∀`)